北海道におけるアオサギの生息状況に関する報告

Status Report of Grey Herons in Hokkaido

各営巣地における生息状況の総括

(注)ここでは全道を11地域に区分したが、その境界は図1に示すとおりで、必ずしも本来の支庁区分と同一ではない。

Ⅰ 宗谷地方

この地域にはこれまで16コロニーが確認されており、このうち9コロニーが現存している。この地域は1970年代以前にはコロニーが確認されておらず、道内の中では比較的最近になってアオサギが生息しはじめた地域である。最も古くから知られているのはペンケ沼コロニーで1982年に確認されており、クッチャロ湖コロニーの1985年がこれに続く。ただし、これらのコロニーは人目に付きにくい所にあるためそれ以前に成立していた可能性は高い。したがって、どちらのコロニーが早くから存在していたのかは不明である。

この地域における各コロニーの成立年代を見ると、ペンケ沼コロニーを基点として天塩川を上流へ遡るようにコロニーの分布が広がる傾向が見られる。ペンケ沼コロニーは現在でも健在であり、周辺環境が今後急激に変化する可能性が少ないことや人の影響を受けにくい立地環境であることなどから今後も末永く利用される可能性が高く、天塩川流域に展開するコロニー群の母体として重要な地位を占めているものと推測される。

天塩川流域には比較的規模の大きなコロニーがいくつもあるが、名寄コロニーはそれらの中で最も内陸にまで達し、かつ周囲に大規模なコロニーが無いという点で特別である。また、名寄コロニー成立後、周辺にいくつものコロニーが成立している状況を考慮すると、このコロニーは天塩川上流域におけるコロニー群の核としての役割を担っているものと推測される。こうしたことから、ペンケ沼および名寄コロニーは、この地域において保全上の重要性は最も高いと考えられる。

なお、天塩川流域のコロニー群とは別に、浜頓別近辺に一群のコロニーがあるが、これらが天塩川流域のグループとどのような関係にあるのかはよく分からない。

ところで、この地域は宗谷海峡を隔ててサハリンと向かい合っており地理的に特別な地域でもある。サハリンにおけるアオサギの生息状況についてはよく分かっていないが、同島の北部と南部では生息するアオサギが亜種のレベルで異なり、南部のアオサギは日本に生息する亜種と同じであることが知られている。また、春先には宗谷海峡を北へ渡るアオサギが見られることから、日本で越冬、ないし日本を経由したアオサギがサハリン以北で繁殖しているのはほぼ間違いない。したがって、当亜種の北限での分布域を北海道からサハリン南部へと地理的に連続して確保するという点で、道北に繁殖地が存在する意義は大きいといえる。

この地域で繁殖するアオサギは人間活動の影響を受けることが比較的少なく、人為的な理由でコロニーが消滅したのは分かっている範囲では鉄道の保安上の理由から伐採された音威子府コロニーだけである。また、アオサギによる人間側の被害の話もほとんど聞かれない。これはアオサギが餌場とする水田や養魚場等が少ないことが理由であろう。

この地域のアオサギの脅威としては他にオジロワシとヒグマが挙げられる。オジロワシについては、音威子府クッチャロ湖で実際にアオサギが捕食されたのが目撃されており、このうちクッチャロ湖コロニーはオジロワシの影響で放棄された可能性が高いと考えられる。ヒグマについては、実際にアオサギを襲ったという目撃があるわけではないが、三栄の浸水したヤナギ林での営巣は異常な繁殖形態であり、地上性の捕食者、すなわちヒグマからの防御を目的としたものである可能性が高いと思われる。

Ⅱ 網走地方

この地域にはこれまで12ヶ所の繁殖地が確認されており、このうち8ヶ所が現存している。この地域で最も古い繁殖地は1947年に確認された網走湖コロニーで、ここを基点として北見コロニー(1974年頃にはすでに存在)や、端野忠志コロニー(いずれも1970年代にはすでに存在)など、常呂川や無加川沿いに比較的早い時期から繁殖地がつくられていったようである。また、この地域で特筆すべきはコムケ湖コロニーで、一時は営巣数311巣を擁する大規模コロニーであったが、わずか6年ほどで消滅している。これだけの短期間でこれほどの規模になるのは尋常でなく、別のコロニーから一斉に移動が起こったものと考えられる。また、そのような大規模な個体数を有するのは周囲には網走湖コロニー以外には無いため、網走湖コロニーからコムケ湖コロニーへ大規模な移動が起こった可能性は高い。このように、網走湖コロニーは、この地域において常に大きな影響力を持ち続けてきたと考えられる。

また、網走湖コロニーは安全で広大な営巣場所が確保されていることに加え、網走湖をはじめ、能取湖、濤沸湖、藻琴湖、サロマ湖など、餌場となる多くの湖沼を抱えている。これに水田や河川を含めると、道内随一の豊富で多様な餌場環境を有しているといえる。また、このコロニーは、1960年以前から存在していた5つのコアコロニーのうち唯一現存しているコロニーでもあり、さらに、道内で最も規模が大きく、将来もコアコロニーとしての役割を維持し続けていく可能性が極めて高いと予想される。このように、当地域だけでなく道内全てのコロニーの中で最も存在意義の大きいコロニーであるといえ、その営巣地は厳格に保護する必要があると考える。

この地域は水田や養魚場が少ないこともあり、餌場における人とのトラブルはほとんど無いようであった。営巣場所については旧北見コロニーで営巣林の伐採があったが、ここは人為的に巣を移動することで別の場所にコロニーを移転させるのに成功している。

この地域で人間以外でアオサギの脅威となっているのはオジロワシである。雄武瀬戸瀬コムケ湖網走湖では、コロニーの近くにオジロワシの巣があり、このうち、雄武瀬戸瀬コムケ湖では、コロニーやその周辺でオジロワシがアオサギを襲うのが実際に目撃されている。また、瀬戸瀬におけるコロニーの移動やコムケ湖におけるコロニーの消滅は、オジロワシによって引き起こされた可能性が高いと考えられている。このように、この地域での営巣地の分布は、人為的なものだけでなく、オジロワシの存在によっても大きく影響されている可能性がある。

Ⅲ 根室地方

この地域にはこれまで5ヶ所の繁殖地が確認されており、このうち4ヶ所が現存している。最も古いコロニーは1985年頃に確認された標津コロニーで、他地域にくらべると宗谷地域とともに比較的新しく開拓された繁殖地域であるといえる。それぞれのコロニーの成立年代を見ると、標津コロニーを基点として標津川沿いに内陸へ分布が広がる傾向が見られる。この地域には特別大規模なコロニーは存在しないが、地域の中では標津コロニーが際だって大きく、広大な餌場も保有しており、当地域のコロニー群を形成する上でその母体となってきたものと考えられる。しかし、このコロニーでは営巣木の枯損が激しく、今後もこの営巣地が利用され続けるかどうかは疑わしい。したがって、代替営巣地の選定など現コロニーが放棄された場合の準備をしておくことも必要であろう。

ところで、この地域は東側に20数kmを隔てて国後島が位置している。国後島におけるアオサギの生息状況についてはほとんど知られていないが、ケラムイ崎の基部には野付湾同様の干潟が広がるほか、アオサギの繁殖地があるという話もある。また、根室海峡を横断するアオサギの姿も目撃されるなど、根室地域と国後島の間でアオサギの移動があるのは間違いないと思われる。したがって、根室地方におけるアオサギ繁殖地の保全は、千島列島へのアオサギの分布域を地理的に連続して確保するという点でも意義が大きいといえる。

この地域では、かつて標津西春別コロニーで営巣林伐採の危機があったが、いずれも住民の要望で中止されており、結果的には営巣場所そのものに対する人為的な影響はそれほど目立っていない。一方、アオサギによる人間側への被害としては、養魚場やサケマスふ化場での食害の被害が見られている。

この地域で、人間以外でアオサギの脅威になっているのはオジロワシで、野付湾では実際にアオサギが捕食された事例もある。ただし、コロニーが襲われることはごく希で、コロニーが移動せざるを得ないような深刻な被害は今のところ確認されていない。この地域では、風蓮湖や温根沼など、アオサギの繁殖に十分な条件を備えているにもかかわらず、実際には利用されていない地域がある。こうした状況を見ると、オジロワシの潜在的な脅威がそれらの場所の利用を妨げているとも考えられる。

Ⅳ 釧路地方

この地域にはこれまで17ヶ所の繁殖地が確認されており、このうち6ヶ所が現存している。コロニーが集中しているのは釧路湿原を中心とする地域で、これまでに全体の半数以上にあたる9コロニー(うち4コロニーが現存)が確認されている。また、最も古いのは1956年に確認された大楽毛コロニーで、1975年を最後に消滅するまでこの地域の中心的存在だったと考えられる。ただし、大楽毛コロニーが存在した期間に新たにつくられたコロニーは厚岸コロニーだけである。大楽毛コロニーが消滅した後は、釧路湿原音別に新たなコロニーがつくられており、このうち釧路湿原コロニーがコアコロニーとしての役割を引き継いだと考えられる。その後、釧路湿原コロニーは20年以上にわたって存続したが、消滅までの過程で湿原の周辺にいくつもの新たなコロニーが形成され、結果的にこの地域はコロニーが小規模分散化することとなった。また、この分散化によって、近年では桜ヶ丘コロニーのように市街地で営巣するケースも現れはじめている。現在、この地域で比較的大きな規模を維持しているコロニーは塘路湖釧路動物園であるが、このうち釧路動物園コロニーは、餌場環境の一部を人為的なものに頼っているなど将来の安定性は必ずしも保証されていない。一方、塘路湖コロニーは安定した餌場を持っていることから、将来的にこの地域のコアコロニーとしての役割を担っていくものと思われる。なお、阿寒湖では、比較的狭い地域で短期間にいくつものコロニーか生成消滅するという道内では珍しい状況が見られるが、これについては原因はよく分かっていない。

この地域で繁殖するアオサギは、人間活動によって様々な影響を受けている。開発の影響が疑われる例としては、周囲の湿原埋め立てなどが原因で放棄されたとされる大楽毛コロニー、堤防工事の影響が放棄の一因になったとされる釧路湿原コロニー、道路の付け替え工事によって営巣場所が移動したといわれる厚岸コロニーなどがある。また、阿寒コロニーでは、コロニーに隣接する林が伐採されたことが営巣放棄の原因になったと推測されている。一方、アオサギによる被害としては、阿寒湖の養魚場や前田一歩園の池などで食害の被害が生じている。また、釧路動物園鶴公園ではタンチョウ用の魚の餌をアオサギが利用するというケースも見られる。ただし、鶴公園の場合は被害という認識はしていない。

この地域のアオサギの脅威としては、人間以外ではオジロワシの存在が挙げられる。厚岸釧路動物園コロニーでは、オジロワシによるコロニーの襲撃が見られる他、動物園に近い釧路湿原では、アオサギの成鳥がオジロワシに捕食されるのが目撃されている。なお、厚岸釧路動物園などはもともとオジロワシが生息していた所であるが、アオサギが襲われるようになったのはここ数年のことと言われており、オジロワシの食性に変化が起こった可能性がある。

Ⅴ 十勝地方

この地域にはこれまで12ヶ所の繁殖地が確認されており、このうち8ヶ所が現存している。最も古いコロニーは、遅くとも1944年には存在していたとされる稲穂コロニーで、これに次ぐのが1969年に確認された仙美里ダムコロニーである。他はいずれも1980年代半ば以降につくられたもので比較的新しい。コロニーの分布を見ると、その多くは十勝川と利別川流域に位置しており、稲穂コロニーを基点として川の上流方向へ分布が拡大したものと推測される。しかし、一時は道内でも最大級の規模を誇っていた稲穂コロニーは2003年を最後に消滅しており、現在この地域には明確なコアコロニーは存在しない状況である。ただ、稲穂コロニーの消滅と相前後するように、ほど近い場所に吉野コロニーがつくられており、規模が急速に拡大していることから、吉野コロニー稲穂コロニーの担っていた役割を継承する可能性は高いと考えられる。したがって、この地域のコロニー群の保全のためには、吉野コロニーの保護を核とした管理計画を考える必要がある。

この地域は、養魚場でのアオサギによる被害が多く見られ、幕別および仙美里ダムコロニーの周辺養魚場ではアオサギの駆除が行われている。また、養魚場と釣り堀を保有する水光園では、その敷地内にコロニーがつくられアオサギによる食害に悩まされている。一方、アオサギへの人為的な影響の例としては、コロニーの近くで行われた河川改修工事がコロニー消滅の一因となったと考えられるケース(稲穂)がある。なお、この地域では、町が営巣状況の調査を行ったり(幕別)、アオサギを町の鳥に指定する(稲穂)など、アオサギに対して強い関心を持っている自治体もある。

この地域のアオサギの脅威としては、人間以外ではオジロワシの存在が挙げられる。道北や他の道東地域に比べるとその影響は比較的軽微であるが、コロニーの消滅にオジロワシの関与が疑われている仙美里ダムのような例もあり、今後、別のコロニーでもそうした事態が起きる可能性はある。

Ⅵ 上川地方

この地域にはこれまで6ヶ所の繁殖地が確認されており、このうち5ヶ所が現存している。この地域で最も古いのは1986年頃につくられた中愛別コロニーであるが、この頃には道内のほぼ全域にアオサギの繁殖地が分布するようになっており、道内では最も遅く繁殖が開始された地域といえる。なお、中愛別コロニーより数年遅れてつくられた嵐山は、中愛別コロニーよりはるかに規模が大きく、この地域のコロニー群において核としての役割を担ってきたと考えられる。しかし、嵐山は営巣場所が民有林内にあるため、営巣場所の安全性が保たれているとは言い難く、今後もコアコロニーとしての役割が果たせるかどうかは極めて不確かである。

この地域は広大な水田地帯を擁していることから、中愛別嵐山鷹泊など、水田でのアオサギによる被害が各地で見られている。また、こうした被害に対し、嵐山のように花火を用いてアオサギを撃退しているところもある。

現在、この地域でアオサギの脅威となる可能性のあるものとしてはアライグマが挙げられる。たとえば、規模の縮小している中愛別コロニーでは、周辺にアライグマが多数出没しているという情報もある。今のところ影響の有無については明らかでないが、可能性として考慮しておくことは必要だろう。

Ⅶ 留萌地方

この地域にはこれまで3ヶ所の繁殖地が確認されており、その全てが現存している。このうち最も古くからあるのは1962年頃に確認された小平コロニーである。当時、道内に存在していたコロニーは小平以外に6ヶ所あり、そのうち5ヶ所は各地域の広域コロニー群の核となってきたが、小平コロニーも留萌地方で同様の役割を果たしたものと考えられる。ただし、この地域には大規模な採餌環境が無く、いずれのコロニーもその規模は比較的小さい。したがって、絶対的な影響力をもつコアコロニーというのはこの地域には存在しないと考えられる。なお、小平コロニーは道内の現存コロニーの中では網走湖コロニーに次いで古いコロニーであるが、近年、営巣場所が山の山腹から人為的な影響を受けやすい水田地帯の防風林に移動しており、今後、現在の営巣場所が恒久的に利用されるかどうかは疑問である。また、現在では小平コロニーよりも留萌コロニーのほうが規模が大きいと推測され、コアコロニーとしての役割は小平コロニーから留萌コロニーに徐々に移りつつあるものと考えられる。しかし、留萌コロニーの周辺環境は小平コロニーに比べて決して優れているとは言えず、とくにコロニー周辺の水辺環境は近年急速に変わりつつあることから、このコロニーの今後の動向については十分に注意を払っていく必要がある。

この地域では、小平留萌の水田で苗の踏みつけ被害が見られている。一方、小平コロニーでは、旧コロニーに隣接していた林が伐採されており、これがコロニーが移動する原因になったと推測されている。

なお、この地域のアオサギに対する脅威は今のところ人間以外には確認されていない。

Ⅷ 石狩・空知地方

この地域はこれまで25ヶ所の繁殖地が確認されており、このうち15ヶ所が現存している。最も古いコロニーは、千歳川沿いにあったとされる千歳川コロニーであるが、このコロニーについてはほとんど情報が無く、いつから存在していたのかも分からない。情報が確かなもので最も古いのは野幌コロニーで、一説では千歳川コロニーが移動してつくられたものともされている。野幌コロニーは1914年頃にはすでにあったとされ、1980年代初め(この頃、金山湖遠幌コロニーが形成)まではこの地域で唯一のコロニーであったと推測される。野幌コロニーはその後も1996年まで道内有数の大規模コロニーであり続け、この地域の拠点として大きな役割を果たしてきたと考えられる。ところが、このコロニーは1997年に突如放棄され、結果として周辺地域にいくつものコロニーが形成されている。野幌コロニーの近くには、このとき新設されたと思われるコロニーが3ヶ所(平岡江別篠路)あるが、それ以外にも野幌の消滅の影響を受けてつくられた可能性のあるコロニーが遠隔地に6カ所(宝池志文長都篠津ウトナイ湖沼の端)ある。また、胆振・日高地域の拠点であった植苗コロニーでは、この年に限って著しく巣数が増加しているが、これは野幌コロニーから多数のアオサギが合流したものが原因であろうと考えられている。このように、野幌コロニーの消滅は、石狩・空知地方の広域コロニー群構造を大きく変えただけでなく、胆振・日高地域のアオサギの生息状況にまで多大な影響を及ぼすものであった。現在、野幌コロニーがあった地域には平岡江別に比較的大きなコロニーができており、今後はこのふたつのコロニーが野幌コロニーの担っていた役割を継承していくものと考えられる。ただし、江別コロニーは営巣場所としては林の面積が小さく繁殖できるのは100巣程度が限界とみられることから、将来的な収容力の点で考えると営巣林の面積が広い平岡コロニーのほうがコアコロニーとしての資質は高いと考えられる。

なお、野幌を中心に形成されたと考えられる一群のコロニーとは別に、1990年代の半ば頃から北空知地方に複数のコロニーがつくられている。これもルーツは野幌周辺の個体群であろうと推測されるが、石狩地方の中心部からは距離も遠いことからある程度独立したコロニー群とみなすこともできる。この中では砂川コロニーがとくに規模が大きく、石狩・空知地域の内陸における二次的な拠点になっていると考えられる。

この地域は石狩川をはじめいくつもの河川が流れていることに加え、その流域に広大な水田地帯が広がり、アオサギにとっては非常に優れた餌場環境といえる。今回の調査では野花南砂川の水田でアオサギによる被害が見られたが、水田面積の広さとコロニーの分布を考慮すると、実際にはそれ以外の場所でも広範囲にわたり水田の被害があるものと予想される。また、水田以外の被害としては、占冠遠幌芦別などの山間部で養魚場の被害が見られている。一方、金山湖占冠平岡の3コロニーではかつて営巣林伐採の恐れがあったが、町が林を買い取ったり住民が反対するなどしていずれも伐採を免れている。また、野幌のコロニーが放棄された際には、道の対策会議が開かれ善後策が検討されている。このようにアオサギへの関心は比較的高い地域である。

この地域でアオサギに多大な影響を及ぼす可能性のあるものは、人間以外ではアライグマとヒグマである。ただし、アライグマについてはコロニーを襲うのが実際に目撃されたわけではない。しかし、もしそうしたことが起こっていたとすれば、それが野幌放棄の直接の原因になった可能性は高いと考えられる。ヒグマについては、遠幌コロニーで実際にコロニーが襲われるのが目撃されており、それが原因でコロニーが消滅したのはほぼ間違いないと思われる。また、この地域では、ブイ上での営巣(幌向ダム)や水没したヤナギ林での営巣(宝池)など特殊な営巣形態が見られており、水域を障壁として地上性捕食者の侵入を防いでいるのではないかと推測される。また、遠幌コロニーから移動してつくられた若美町コロニーでは、人家(および犬小屋)のすぐ横に巣がつくられており、人ないし犬の存在を利用してヒグマを近づけないように意図した可能性がある。これら地上性捕食者がアオサギに影響を及ぼした事例は今のところそれほど多くないが、一旦襲われればコロニーは壊滅的な被害を受けるためその影響は極めて大きいといえる。

Ⅸ 胆振・日高地方

この地域にはこれまで16ヶ所の繁殖地が確認されており、このうち9ヶ所が現存している。成立年代が比較的はっきり分かるコロニーのうち最も古いのは1955年頃すでに存在していたという鹿沼コロニーである。これよりやや遅れて1959年には明野コロニーが確認されているが、このコロニーはもともと美園地区や緑が丘にあったコロニーが移動したものとされている。美園地区や緑が丘にあったコロニーは相当以前から存在し規模もかなり大きかっようである。明野コロニーは苫小牧周辺の開発に伴い消滅したが、消滅までの間、太平洋岸沿いにコロニーの分布域を拡張する拠点になっていたと考えられる。また、消滅後は植苗コロニーがコアコロニーとしての役割を継承してきたと推測される。しかし、植苗コロニーも現在消滅ないし消滅寸前の状態であり、代わって沼の端コロニーが近年急速に規模を拡大していることから、今後は沼の端コロニーがコアコロニーになる可能性が高いと考えられる。

この地域では様々な形でアオサギと人との間に摩擦が生じている。人が被る被害としては、水田での稲の踏みつけ(鹿沼門別三石)、養魚場での食害(白老平取三石)、林の枯損(鹿沼)などが挙げられる。一方、アオサギ側の被害としては、湿原の埋め立てや河川改修が原因で消滅した明野コロニーの事例がある。これは開発による環境の改変がアオサギに悪影響を及ぼした例として道内で最も大規模なものであったが、逆にこれに対する営巣地の保護運動も大規模かつ徹底したものであった。なお、明野コロニーに対する保護の取り組みは、アオサギに対して行われた保護活動としては道内で最初のものである。この他にアオサギが被った被害としては、営巣林の伐採が4ヶ所(鹿沼穂別平取門別)で見られた。ただし、穂別では林の半分は伐採されたものの残りの林は町が買い取り積極的にコロニーの保護にあたっている。

なお、この地域のアオサギに対する脅威は人間以外には今のところ確認されていない。

Ⅹ 後志地方

この地域にはこれまで2ヶ所の繁殖地が確認されておりいずれも現存している。このうち朝里ダムはひとつがいだけの営巣で、赤井川も数つがいのコロニーだと見積もられている。また、これらはいずれも2000年前後につくられた極めて新しいコロニーでもある。このような状況からして、この地域には広域コロニー群と呼べる構造は想定できない。

この地域の個体数は極めて少ないので人間とのトラブルは起きていないようである。なお、朝里ダムではブイ上に巣がつくられているが、これは地上性捕食者からの防御を意図してつくられた可能性が高いと思われる。ただし、地上性捕食者がアライグマ、ヒグマのいずれであるかは不明である。

ⅩⅠ 渡島・檜山地方

この地域にはこれまで8ヶ所の繁殖地が確認されており、このうち7ヶ所が現存している。コロニーが多く集まっているのは黒松内低地帯周辺であるが、いずれのコロニーも規模は小さい。一方、規模が大きいコロニーは江差じゅんさい沼にあり、それぞれ地理的に孤立している。また、早い時期につくられたのは、1982年頃に確認された寿都コロニーと1984年頃に確認された江差コロニーである。このうち寿都コロニーは、黒松内低地帯を中心とした一群のコロニーがつくられる基盤となったものと思われるが、このコロニーは規模が小さくコアコロニーと考えるのにはかなり無理がある。一方、江差じゅんさい沼コロニーについてはいずれも地理的に他のコロニーとの関係は薄いと考えられる。このように、この地域には本来の意味でのコアコロニーは存在していないとみなすこともできる。ただし、将来的には営巣環境が極めて優れているじゅんさい沼コロニーがこの地域の核になる可能性は高いと考えられる。なお、じゅんさい沼コロニーでは近年カワウがアオサギと共に営巣し始めており、今後カワウが激増するようなことがあると営巣地の保全がアオサギ単独で考えられる問題ではなくなる恐れもある。

この地域は、賀老川コロニーのように周辺の工事が原因で消滅したと考えられる事例はあるが、他の地域に比べるとアオサギと人との関係が深刻な問題になっているところは少ないようである。

なお、この地域のアオサギに対する脅威は今のところ人間以外には確認されていない。