北海道におけるアオサギの生息状況に関する報告

Status Report of Grey Herons in Hokkaido

稲穂コロニー

コロニーの全景(山の中腹付近)

浦幌町稲穂の山の中腹、東向き緩斜面の谷底にあったが、現在は放棄されている。谷の側面は尾根に向かって傾斜約40度、高さ約30mの急斜面となるが、谷底の部分は約50mの巾でほとんど平坦である。コロニーの西側は約120mで谷が終わり、そこから50度ほどの傾斜で約40m上の尾根まで一気に突き上げている。またコロニーの東には浅い沢があり、沢の周辺にはやや起伏がある。コロニーから山の東に広がる牧草地までは約300mある。コロニー付近は全て広葉樹である。また、この谷の下部はヨシやスゲの茂る湿地となっている。

2002年12月14日と15日に調査したところ、ヤチダモ12本、ハルニレ10本、ケヤマハンノキ3本の3種25本に、計98巣を確認した。コロニー内の中低木としては、ハルニレ、イタヤカエデ、エゾニワトコ、ハシドイなどがあり、林床の草本にはオオウバユリなどが見られた。営巣面積は約2,300m2であった。

また、1993年11月12日の調査では、営巣木88本に合計338巣を確認している。さらに、1990年5月1日に松田あおい氏が行った調査では、ヤチダモ39本、ハルニレ31本、ケヤマハンノキ20本、ヒロハノキハダ4本、不明17本の4種111本に、使用巣430、古巣97が確認されている。この年の営巣面積は約20,000m2である。また、浦幌野鳥倶楽部の久保清司氏らが1987年に調査したところ、181巣を確認したということである。

このコロニーは、2003年7月3日に外部から観察した際、数十巣で営巣を確認したが、2004年6月11日には1羽のアオサギも確認することができず完全に放棄されていた。放棄後のアオサギの移動先については明確には分からないが、2001年ないし2002年に当コロニーの南東約5kmのところに吉野コロニーができているので、その頃から徐々に吉野コロニーへ移動していた可能性が高い。

久保氏によれば、この場所での営巣は1973年からだという。このコロニーは、営巣を始めた当初は現在の場所よりも沢の入り口に近い所にあったが、徐々に沢の奥へ移動したそうである。また、この場所で営巣する前は、約2km南にあるJR根室本線の線路脇のハンノキ林にコロニーがあり、最盛期には約400羽が生息していたという。この場所は1965年に鳥獣保護区に指定されたが、1971年から営巣数が減り始め1973年には完全に放棄されたという。また、音別町の榊原源士氏によると、線路脇のコロニーは少なくとも1944年には利用されていたという。地元の人の話では、そこから当コロニーに移るまで一時的にカラマツ林でも営巣していたということであるが、カラマツ林の場所や利用時期については不明である。浦幌町では1974年にコロニーのある場所を鳥獣保護区に指定し、民地であったこの森を買い上げている。また、アオサギを町の鳥にも指定している。このコロニーが放棄された理由は定かでないが、コロニー前面にある下頃辺川を長期間継続して改修工事しているのが原因のひとつではないかと言われている。

コロニーの位置(大きな地図で見る
コロニーの周辺環境
コロニーの内部